イタリア生活記 13'-14' Ep.15

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このブログでも何回も紹介してきたこのケーブル

ドロミテ随一の速度で断崖絶壁を登っていくこのケーブル

先日も紹介した ファルツァレゴ峠/Passo Falzarego から ラガツォイ/Lagazuio へと上がるわけですが


これまたこのブログでも紹介してると思いますが

ここが第一次世界大戦で最も重要になった激戦区の一つでもあるわけで








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結果的に今はすんごいスキー場になってるわけですが

そうなるずっと前からここには歴史があり

人々の暮らしが営まれてきてるんだなぁと

イルカの記事を読んで考えちゃいました。




そもそもその第一次世界大戦ってのがどういうせんそうだったか

もうそれを肉声で聞けることは無いと思いますが

少なからず日本も加担してたわけですし

世界を大きく動かす戦争だったことには間違いないし

知っていてそんは無いかなぁと思い記事にしてみようかと思います。

ま、yskもそんな知識は無いのでかるーくですけどね。








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塹壕のあと


全部いっちゃうと

古代ローマ帝国から初めて

恐らく6億光年ぐらいスクロールが必要になるので

割愛します。




ナポレオンが軍を進め過ぎて失脚した1800年代初頭

ナポレオンの支配下におかれてきた国々の統制と領土をどうするかという会議(ウィーン会議)が行われ

そこで色々と決まり、残念ながらイタリアは当時力の合ったハプスブルグ家率いる

オーストリア・ハンガリー帝国に多くの領土(後に未回収のイタリアと呼ばれる)

を持って行かれてしまいました。

他にも別の国に持って行かれた領土もあるわけですが、

そもそも元々の領土の基準って?ここではイタリア人=ローマ人が住んでいた場所と言うことになっています

※クロアチア沿岸部、トリエステ、南チロル州、コルシカ島、等々・・・。




そうしてウィーン会議で決められたヨーロッパ全土を統治するお達し(ウィーン体制)も

35年ほどで効力が薄れてきて

それに反対する人たちが、特にフランスでまた自分たちの国を建て直そうという運動に参加するようになり

これが俗にいう諸国民の春と呼ばれる1848年革命となるわけです。

この運動がヨーロッパの色んな場所にも伝染していき

その一つがイタリアやったわけですが

いまいち戦いに強くないイタリア人はグッと涙を飲む結果ばかりやったんですよね。。




そうやって色々と革命や戦争をくり合えしながらボロボロの体を引きずって

今ある国土の中で小さな国が分裂したり、ひっついたりを繰り返し(4カ国〜15カ国の間ぐらいで)と

繰り返す中でまた、イタリアを統一しようではないかという運動が大きくなり

その運動の主導者の一人が彼の有名な ジュゼッペ・ガリバルディ

ガリバルディの関連記事はコチラ→サンマリノ/San Marino


ガリバルディの活躍もあってイタリアがどんどん統一されて行く中

最後まで残ったのが、ローマ教皇領

やはり宗教というのは最後までしぶとく強く、力を持つ物なんでしょうか。


それも色んな協定を結ぶ中でイタリアの一部として併合完了。

そのなかにはフィレンツェからローマへの遷都なども。。。

やはり宗教を語らずして歴史は語れない




そんな紆余曲折を経て

未回収のイタリアを残す。






そんな頃、もう少し東のバルカン半島はハプスブルグ家のお膝元であり

厳しい統治下におかれていたわけですが

そんな時にボスニアのサラエボを訪れた皇太子夫妻がここで暗殺されてしまいます。

サラエボの記事はコチラ→サラエボ/Sarajevo



それを発端にオーストリア帝国がセルビアに宣戦布告して

ヨーロッパ全土、そして世界中を巻き込む戦争に発展していくわけです。

これが1914年

はじめはフランスが嫌いなのでオーストリア側に付いていたイタリアも

やっぱりうちの領土取り返そうぜということで

フランスのいる、連合国側に加わり

戦闘を繰り返し、繰り返し

約124万人、当時のイタリアの人口の約3.5%を犠牲にしながら

南チロルや、トリエステなどのイタリアを回収する。


そんな正に未回収のイタリアと呼ばれた地域のうちの一つがここ

ドロミテなんですよね。





コルチナ・ダンペッツォ

アルファベットで書くと Cortina d'Ampezzo

アンペッツォ谷のコルチナ村という意味

この谷のどん詰まりがコルチナで、その手前にある村は


サン・ヴィト・ディ・カドーレ/San Vito di Cadore

カドーレ谷のサンヴィト村

同じ谷やのに、何故か谷の呼び方が違う。



この同じ谷にある二つの谷の民族方言も カドーレ方言とアンペッツォ方言と全然違う

そう、この二つの村の間が文化の分かれ目であり

そうした争いの中で分断されてきた場所でもあるんですよね。


丁度コルチナからサンヴィトに下る途中にドガーナ(イタリア語で国境審査場というような意味)って

名前のホテルがあるんですが、


きっとここがその境目やったんやろうなぁーー

なんて考えだすと、止まらない。





そうした複雑な歴史の渦中で各国の思惑に翻弄されながらも

しっかりと自分たちの暮らしを営んできた結果が、ラディーノと呼ばれる独自言語であったり

オーストリアの北チロルとはハッキリわけられる、南チロルの文化であったりするわけで

料理ひとつにとっても使う食材や調理法がそれぞれ異なっていて


宗主国が代わる代わるする中でもそれを大切に守ってきた、

もの凄く複雑な歴史的背景のなかで築き上げられてきた、


この土地の人の生きてきた証なんだと思います。



だから他の国の文化に簡単に口出ししちゃダメ!



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